10日目
10日目は、オーガニックについて。
オーガニックってなんだろうか?
オーガニックをもうちょっとよく知りたいなぁと思ったのは、確か半年くらい前。
ひろさんという先輩がオフィスでお昼ご飯を作ってくれるようになった頃。
ひろさんは、表参道と246の交差点近くにある「ナチュラルハウス」で決まって買い物をしていた。オーガニック食品が並ぶスーパーなんだけど、もっと分かりやすく言うと生産者・生産地が分かって、いわゆる添加物などの化学物質が含まれない商品だけを販売する小売店。
ひろさんは、薬膳の勉強をしてからオーガニックの世界で仕事をしてきた人なので、身体の仕組みとか野菜・漢方などの効能にとても詳しくて、色んな知識を教えてくれた。
お醤油、味噌、酢、みりん、なんかの調味料も見たことないパッケージのものを買い揃えていて、「スーパーで売ってるのとどう違うんですか?」とつぶやいたら、全部味見をさせてくれた。
その時、これもお醤油なの!?味噌なの!?と感激したのを今でもすごくよく覚えている。個性的なのが面白くて、日常的に使っているようなスーパーに置いてある量産型の調味料しか知らなかった私にはとっても衝撃的だった。
郷土料理って、その土地の気候とか、それに伴って出来上がった文化に紐付いているわけだけど、基本となる調味料だって同じく。関西出汁と関東出汁で濃さが違うとかそういうのは漠然と知っていたけど、学生時代ろくに旅行もせず、両親の実家も関東圏だった私にとっては、日本って色んな地域があるんだ!と初めて気づかされる出来事とも言えた。24歳にもなって恥ずかしながら。
と同時に、味ってこんなに無限にあるんだー、知るにはすっごい時間がかかりそうだなと思ってボーッとした気もした。伊勢丹の地下のでっかいワイン売り場を目の前にして、手土産に一本選ばなきゃいけない時の気持ちになんとなく似ていた。
この段階では、栽培方法とか製造方法に興味があるというよりも、大手企業以外の個人商店に目を向けるようになったような感覚で、その入り方だとすんなり関心を持てた。
私の24年間の食事情はけっこう酷い。
高校生になるまで、魚介類・野菜・肉が食べられなかった。体質上の問題ではなく好き嫌いで。朝は絶対パンかコンフレークが良くて、しかも味噌汁も飲まないし、夕飯のメニューが日本食だとテンションが下がるような手のかかる子供。苦いものと辛いものも嫌い。お菓子とかデザートは大好き。
明らかに、炭水化物とか砂糖の摂取量が異常だったと思う。
(それもあって、低体温なんだと思う。そして慢性的に太ってる。)
「好き嫌い多い子だね。ダメね!」と言われることも多くて、でも嫌いなんだもんと言い張っていたのが、最近、なんとなく理由に目星がついてきた。
私は、2歳から小4まで南米に住んでいたのだが、その時の食環境に理由があるような気がしてならない。
母は当時、日本の食品が売ってるスーパーでよく買い物をしていた。小さな商店なんだけど、カッパエビセンが並んでたのをよく覚えている。思い出せないけど、その記憶からしてもそこで販売していたのは大企業の食品で、現地には日本人がそう多くいるわけでもないので、品揃えもコンビニ規模だったのだろう。
(母はそんな状況でも色んな料理を作ってくれていて、すごいなぁと今改めて思う。)
だけどやっぱり、新鮮でないと食べれないもの、例えば肉や魚や卵や野菜は現地のマーケットで買う必要があった。
南米はとうもろこしや豆や芋中心の食生活で、基本的に肉や魚や野菜は苦手分野。気候や地形的に、それらの新鮮なものを手に入れるのが難しいというのもあって、おそらく、食材自体が美味しくなかったんだと思う。日本と比べればの話だけど。
それでも母はバランス良く、とそんな食材を用いて日本料理を美味しく作ってくれてたのだけど、幼少時代という一番味覚が野生的で敏感な時期の私にとっては、食材自体が美味しくないということに気づいていたんじゃないかなと思う。ふりかけをかけないとご飯をたべれなかったことからしても。
その代わり、豆や芋やアボカド、トマトや玉ねぎは大好きだったし、少なからず土着の新鮮で美味しい食べ物を好んで食べるという考えは合っているなぁとしみじみ。
特産地で食べるご飯は美味しいというのは、抜群に新鮮な状態で食べられるからだろう。
肉や魚や野菜が嫌だった理由も、筋が固くて噛みきれないとかパサパサするとか、うん、やっぱり新鮮じゃなかったことが理由なんじゃないかなと、今は確信してる。
そんな実体験もあってか、ローカルを軸にした食生活にはすごく興味を持ったんだろうな。
では食のグローバルとはなんだろう。
誰もが聞いたことあるような大手企業が取り組んできたことは、だいたいこのように言える。
"時代の変化に合わせて、「もっと広く、たくさんの人にこの味を届けたい、売りたい、そのためにもっと効率を上げたい」という動きが強くなり、一生懸命頭を使って、手間を省く方法を編み出した。"
ローカルの枠を超えて普遍的なものを創り出すために。
例えば
手作業の部分は工学の技術で、機械を開発・導入して、人力の作業量を削る。
自然の摂理で時間がかかる部分は科学の技術で、全く同じとはいかないけど自然界で起こるのに似たような化学反応を作り出して、待つ時間を削る。
特に自然界の摂理を新しい手段で再現する後者は、食業界では革命的だったろう。時間のかかる「発酵」の短縮とか、作物の「成長」の短縮とか。
・・世の中の人工物の全ては、元を辿ると自然をお手本にしていて、科学だって自然界の既存の力・資源じゃ足りなくなったから代替的に生まれたものだなぁと思う。自然界への憧れにも似た。
(ふとプラスチックの起源を調べた時も、木から採れる樹脂を再現しようという試みからスタートした、というような記事を見つけて、そう思うようになった。)
成分や物質的にはやっぱり自然界に存在するお手本とは全く同じもののコピーとはいかず、新物質の創造をしていることになる。それも人類の素晴らしい進歩ではあるんだけど、自然界の摂理に変更を加えることによって、その変更に対して自然界がどんな順応を起こすのかというのを明確に予測できてないケースがほとんど。こればかりは実験が出来ないし、順応にはある程度の時間がかかるので、因果関係を突き止めるのも難しいということも大きく関係してくるんだろうなぁと思う。
そんな動きに対して、「そんなリスクをとる必要はあるか?自然界の摂理の中で生活していこうよ。」という立場が近年のカウンターカルチャー的な『オーガニック』だと私は捉えている。そんなことなので、ローカルとオーガニックは強く結びつく。
そこにオーガニックの魅力がある。
オーガニックの本質の部分は、
無理な早送りをしなくても、自然のリズムに任せて暮らしていくのも楽しいよ、という感覚なのかなと思う。無理に環境に手を加えず、ローカルに根付いたものを新鮮に食べると美味しいよとか。
本当は、そんなに急ぐ必要はないじゃない、必要な分だけ作って、必要な分だけ報酬をもらおうよというミニマルでエコロジーな「捉え方」にみえる。
美容にいい、身体にいい、環境にいい、
みたいなのは言わば即効性を狙ったキャッチコピーみたいなもので、本当に伝えた方がいいのって、「地球との付き合い方」とか、考え方の一つだよなぁと最近では思うようになった。
思ったよりも随分長くなったけど、
オーガニックって「有機栽培である」と一言で語るのは難しいし、暮らし方のスタンスだなぁと心から思う。