34日目
34日目は、続けることについて。
わたしはかなり、続けるのが苦手である。
三日坊主、飽き性、そんなことをよく言われて来ました。
でも、こんなこと言うと信じてもらえるか分からないけど、人に対して飽きたことは一度もない。
中学生の頃、「ずっと一緒にいすぎて飽きた」と友達に言われたことがあるのだけど、その感覚が全く分からずに悩んだものだった。
もしかしたら、私のリアクションがあまりにも画一的だったのかもしれないし、話がつまらなかったのかもしれないけど、「飽きられたらどうすればいいんだろう」と考えていたりもした。だけど、距離を置かれていることを受け入れ、違う子と一緒にいるのを見て、楽しそうな彼女に戻って良かった!とか思いながら日々を過ごしていたものだった。
飽きる、というのはつまり、
私にとっては「これに関してはだいたい分かってしまった」と感じてしまうことだと思う。
海外生活というのがどういうものか
テストで満点をするためには何をすればいいか
先生に褒められるためにどう振る舞うか
バスケがどんなスポーツなのか
人気者ってどんな生活をしているのか
原宿に行きつけの店があるとどう楽しいのか
勉強しなくなるとどうなるのか
カフェのバイトがどんな内容なのか
とか、私がこれまで興味を持っていたのは何かしらの「パターン自体」のことで、そうなってくるとその大まかな一般的な流れを知ることで満足をしてしまうわけだ。
かつての媚売り生活の原動力は、実は、褒められたいとか、みんなに好かれたいとか、その感情を"体験してみたい"という興味にすぎなかったのかもしれない。
例えば、その行為自体がとても好きだとか、そういうことがあまりないのかもしれない。
これからの人生も
知ること、に永遠に執着をしていくのかもしれないなぁ〜。
今の仕事が楽しいのは、「知ること」が仕事として成り立っているからなのかもしれない。
知っているとその行為をする際に得する、とかそういう副次的なものではなく、知り・伝える、そのことこそが任務なのである。そして、それは私にとっては非常に快楽的でスムーズなことなのだ。
人に関しては、一般的なパターンを知ったとしてもあまり意味がない。
例えば生まれた頃から一緒で、家族ぐるみの付き合いをしている幼馴染の子がいたとしても、その子のことを知ってるなんてことは永遠に自信を持てないと思う。
私にとって、人はいつでも不可解だし、不思議で仕方がない。知っても知っても、知りきれないし、けっこうすぐに変わったりもする。
今でも、過ぎたことを思い出して頭を悩ませたりしてしまうし。
それは地球とか自然も同じで、だから今農業のことを考えているのがとても楽しいのかもな。
こうすれば評価される、なんてことはなく、常に、自分がどの立場にいるのかを考え続けなければいけない。正解と勝ち負けが分からない、重力もない宇宙みたいな世界だ。
絶対に飽きさせてくれない。
まあそんな調子だから、
人に飽きることはないのです。
テーマに設定したのは、
実は夜帰りが遅くて早く寝たいという気持ちに、ブログ続けるぞという気持ちが負けたからです。
「ブログを書き続ける」という生活がどんな生活なのかはだいたい分かりました。
でも、ブログを書くことで(できるだけ)毎日自分のぼんやりした思考を言語化してアーカイブしていくのはけっこう楽しいので、続けます。
このブログを書くこと以上に楽しいことを見つけちゃったらこのブログは止まりますが、ぷつぷつ途切れても書き溜めていこうね山川さん。
ではおやすみなさい。